「余白を持とう」
こう聞いて、何をイメージしますか?
今日は、最近考えている「余白」について書いてみたいと思います。まずは余白の定義から。
余白の定義
「余白」を検索してみると「字や絵などが書いてある紙面で、何も記されないで白く残っている部分。」とあります。
言葉の定義としては、何かを記した後に残っている部分なんです。
でも、私の考える余白はそうではなくて「あえて最初から確保しておくもの」だと思っています。
余ったから余白という考えではなく、余らせておくための余白、というイメージ。
私はWebデザインを学んでいましたが、デザインにおいても余白は重要。余白の取り方に、デザインセンスが現れる(経験の差が出る)と思えるほど、余白って大切です。
何をしてもいい日が最高に幸せ
私の最高の1日とは、「何も決まった予定がなくて、何をしてもいい日(時間)」です。
仕事をしてもいいし、ダラダラしてもいい。本を読んでもいいし、出かけてもいい。こんな風に、何をしてもよくて何をするかを自分で決められる日ということに、私は最高に幸せを感じます。
なぜこんな日が好きかというと、これもスケジュールの中の「余白」だからだと思うんですよね。
過去の私は、スケジュールに隙間があればすぐに埋めたがる性格でした。
遡れば大学時代、バイトはいつも複数掛け持ち。テトリスのようにシフトや友達との予定を組み合わせて、じっとはしていませんでした。
それは起業してからも同じで、家事育児以外の時間は、学ぶか、人と会うか、手を動かしているか。
スケジュールは分刻みで予定が組まれていて、「何もしない」ことを自分に許していませんでした。
ぎっちり予定があるので、自分のために使う時間もありません。「余白」を持とうと、自分の健康やリフレッシュのためにヨガに通うものの、その時間すら気づけば予定化され、いつのまにか「余白」ではなくなっていました。
楽しいことにも余白が必要
ふと、「余白がない」ことに気づいたんです。常にやることで時間が埋まり、ゆっくりと考える時間や感情を味わう時間がない。
だからやっていることが「ルーティーン」になってしまっていました。
あなたも、楽しいと思って始めたことが、いつのまにか「やらなければならないこと」に変わった経験はありませんか?
デザインが好き。だからデザイナーになったのに、いつのまにかデザインをするのが苦しくなっている。
会社員の生活スケジュールが窮屈。だから起業したのに、いつのまにかまたスケジュールに追われている。
その原因は、詰め込みすぎだからです。
物理的にだって、自分と相手の間には、パーソナルスペースが必要。朝の通勤ラッシュ帯に電車に乗った際、隣の人との距離が近いとちょっとやだなと思ったり、カフェで隣の席との間隔が狭いとちょっと落ち着かなかったり。
それなのに、その距離に慣れてしまうと、それが当たり前になってしまうんですよね。
朝の時間帯だから隣の人と近くても当然。カフェなんだから隣の人の話し声が聞こえても当然。
でも、本当はあまり気持ち良くないはずなんです。
昨年のある日、空き時間が急にできたので、スタバに寄りました。
何をしようかなと思った結果、私はそこでノートを開きました。そして、今感じていることを書く。
スマホを持っていたので、仕事や発信をすることもできたけど、あえてしない。Kindleで読書をしてもいいし、ぼーっとしてもいい。
時間の使い方が私に委ねられていること、何をするという選択肢が自分で決められることがすごく心地いいと感じました。
「何をしてもいい時間=余白」って最高に贅沢で、でも自分には必要な時間だと自覚した瞬間でした。
余白が必要な人とは
今、何かに追われているような感覚の方、見えない焦りを感じている方、ストレスを感じている方、そんな方こそ「余白」が必要な方です。
きっとそんな方は、がんばりやさんで、まじめで、自分に厳しくて、やるべきことをちゃんとやろうとする人。
自分が少しくらいしんどくても、周りに頼ることなくなんとかしようとしてしまう人。
だから周囲からは「できる人」「大丈夫な人」と思われがちですが、本当はそうじゃないことも多い。
楽しいと思って始めたことも、いつのまにか疲れてしまって「やらないといけないこと」になっているなら、どこかに「余白」が必要です。
でも「余白」は、最初にお伝えしたとおり余らせてできるものではありません。あえて作ることで生まれるものです。
上手に余白を作れば、今よりもっとラクに楽しく毎日を過ごせます。